土地言葉談義-非常勤講師室エピソードその2
2016年05月25日のこと
非常勤講師室エピソードその2
M「先生は何を教えているのですか?」
A「〇〇です、先生は?」
M「僕は△△大工学部が廃部になり、あちらこちらで××を教えています」
A「そうでした、△△大学には先輩先生もいらっしゃいました。どうしとっちゃろか」
M「出身は福岡ですか?」
A「はい」
M「『とっちゃろか』は福岡の言葉ですか?」
A「そうですね。標準語で話すと上下間を推し量った表現になるので
水平志向で話すときは土地言葉を使うことが多くなります」
M「私は京都なので福岡言葉が判りません。
英語対ドイツ語会話のようにニュアンスが伝わら無いのではありませんか」
A「そっか!全く独りよがりの考えですね。ありがとうございました」
M「東京で関西弁で話したら馬鹿にしているように受け取られると思います。
京都言葉は、またちょっと違いますが」
M:ニューティーチャ―その2
A:私
感じたことを素直に表現できる人との会話は愉快です。
ちなみに、昔ばなし大学では、「方言」とは言わず「土地言葉」と表現します。
追記
日々雑記を送ってくれる知人の5月25日通信がまさに「土地言葉」
ここに一部転記
非常勤講師室エピソードその2
M「先生は何を教えているのですか?」
A「〇〇です、先生は?」
M「僕は△△大工学部が廃部になり、あちらこちらで××を教えています」
A「そうでした、△△大学には先輩先生もいらっしゃいました。どうしとっちゃろか」
M「出身は福岡ですか?」
A「はい」
M「『とっちゃろか』は福岡の言葉ですか?」
A「そうですね。標準語で話すと上下間を推し量った表現になるので
水平志向で話すときは土地言葉を使うことが多くなります」
M「私は京都なので福岡言葉が判りません。
英語対ドイツ語会話のようにニュアンスが伝わら無いのではありませんか」
A「そっか!全く独りよがりの考えですね。ありがとうございました」
M「東京で関西弁で話したら馬鹿にしているように受け取られると思います。
京都言葉は、またちょっと違いますが」
M:ニューティーチャ―その2
A:私
感じたことを素直に表現できる人との会話は愉快です。
ちなみに、昔ばなし大学では、「方言」とは言わず「土地言葉」と表現します。
追記
日々雑記を送ってくれる知人の5月25日通信がまさに「土地言葉」
ここに一部転記
小学校五年生の夏、唐津に疎開して[東唐津国民学校]に編入された。
最初の日、『おしっこしたい‥』と仲間に言ったら『しょんべんマリタカトや‥』と答えて便所に連れて行ってくれた。
それで、排泄する事を『マル』と表現すると覚えた。
暫くしてマルのにも慣れたころ、先生に、『先生!うんこマッテきます』と言ったところ、『しょんべんはマル。くそはタレルと言うとだ!』と、訂正された。
なるほど‥と、それで又ボキャブラリが広がった。
それまで住んだ神戸では大も小も『スル』としか使っていなかったから、[マル・タレル]との[使い分け]には、ちょっと感心した。
言葉に使い分けが有る‥と言うのは、ボキャブラリが高度である訳で、こと排泄に就いては、対神戸では、唐津の勝ちは間違い無い。
羊を追って暮らす遊牧民族では、草に付いては、羊の[食べる草]と[食べない草]の二種類しか名前が無いと聞いたし、逆にラクダを飼って来た民族では、単なるラクダだけで無く[立っているラクダ][座っているラクダ][寝ているラクダ]その他に、いろんな呼び方が有ると聞く。
日本にも、ブリなどの様に成長度に依って名前がいろいろになる例がある。
そのものへの関心が浅いか深いか‥に依って、動詞にも名詞にも[量的差]が生ずるのは理の当然と言うべきであろう。
それは[深化][高度化]の違いと云って差し支えは無さそうである。
[マル・タレル]も含めて、各土地の言葉(方言)って、それが有るから面白い。
by arigozira
| 2016-05-26 18:27
| くらし・所感
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